こなひき太郎のkindle日記

人文社会系のkindle書籍をレビューします。

E.H.カー『危機の二十年』(2015年、岩波書店)―ユートピア主義の国から

  理想主義と現実主義という二項対立は、国際関係を分析するうえでもっとも基本的な枠組みのひとつになっているようです。国際政治学の代表的な古典であるこの本も、まさにユートピア主義と現実主義というふたつの思想を主題としています。

 

危機の二十年?理想と現実 (岩波文庫)

危機の二十年?理想と現実 (岩波文庫)

 

 

 ユートピア主義と政治学

 カーによれば、ある学問がはじまるときには、必ずユートピア主義の形態をとります。化学は中世における錬金術から、経済学は自由貿易を賛美する考えからはじまりました。はじめに学問の果たすべき目的が設定され、それについての理想が立てられたあとで、現実についての分析がなされていくのです。これは、人類の宿命であるといってもよいでしょう。

 筆者は、政治学も同様に孔子プラトンによる理想主義的な政治思想から始まったと主張します。ユートピア的な政治思想は近代に入っても影響力を持ち続けました。ひとつは、ベンサムやミルの功利主義によって正当化された自由主義思想であり、もうひとつは、エンゲルスによってユートピア社会主義と呼ばれたサン・シモンやフーリエの思想です。

 そして、20世紀に至っても、政治学はユートピア主義的色彩を強く残していました。アメリカのジャクソン大統領が提唱した国際連盟による集団的安全保障構想は、まさに国際政治についてのユートピア主義です。本書の題名である「危機の二十年」とは、1919年に一次大戦が終了し、国際連盟による集団的安全保障という理想が打ち立てられ、それが挫折するまでの20年間のことです。カーが本書を執筆したのは二次大戦の勃発以前でしたが、結果的に、次の大戦は危機の二十年のちょうど終わりに開始されました。

 

リアリズムの果たすべき役割

 ユートピア主義の政治学は、理想を立てることは得意でも、現実の政治が実際にどう動いているかを分析することは苦手です。それどころか、理想は現実をゆがめてしまいかねません。たとえば、カーは、ベンサム学派の人々は世論が常に正しいものであるととらえる誤りに陥ったと指摘します。理想の状態を思い描くあまり、現実を都合良く解釈してしまったというのです。

 カーのユートピア主義者についての描写は、やや誇張されているようにも思えます。彼はベンサム学派が世論を絶対視したと主張しますが、これは本当でしょうか。確かにベンサムは人を正しい方向へ導く賞罰(サンクション)のうちに世論によるものを挙げていますが、それ以外にも刑罰や信仰によるものを挙げており、世論によってのみ人の行為が決定されるべきだと主張しているわけではありません。さらに、彼は、マイノリティである受刑者のためにパノプティコンと呼ばれる刑務所の設計計画を立て、その実現に努力したのですが、それが政府の支持を得られなかったために、民主政治に絶望していましました。また、彼の後継者であるミルも、「多数派の暴政」に言及し、多数派による少数派の利益への侵害という問題を提起しています。ベンサム学派のなかには民主主義や世論に対する懐疑的な意見が存在しており、カーのベンサム学派への理解はあまりにも一面的です。

 とはいえ、ユートピア主義者は一般的に現実を無視してしまう傾向があることは事実でしょう。たとえば、国際政治は道義によって動かされるという考えが、その典型です。それに対して、多くの場合は軍事力や経済力によって動かされているということを指摘するのがリアリストです。必要なリアリティへの認識を提供する点で、現実主義は不可欠なものであると言えるでしょう。

 

現代日本はユートピア主義者によって支配されている

 さて、現代の日本では、ユートピア主義者が力を持っています。このように書くと、安全保障関連法案に反対する人たちのことを思いうかべる人がいるかもしれません。確かにその通りで、デモ参加者の少なからぬ人は、戦争反対を訴えることだけで平和が実現されるという極めてユートピア的な主張をしているように見えます。平和を守るためには単なる理想や話し合いだけではなく軍事力や経済的関係による抑止が必要であることは、論をまちません。

 では、法案に賛成している人たちはどうでしょうか。彼らは一見してリアリストに思えます。しかし、法案を作成した人たちはともかく、法案に賛成している市井の人たちの多くは、「武力を持たなければ平和が実現される」と主張する人と同じくらいにはユートピア的な主張をしているように思います。それは、「日本が他国に対して集団的自衛権を行使すれば、他国もまた日本に集団的自衛権を行使してくれるようになり、日本が安全になる」というものです。中国の脅威を集団的自衛権の行使容認の根拠にするには、このような主張をする必要があるでしょう。しかし、これは本当にリアリティなのでしょうか。

 そもそも、集団的安全保障制度は、カーの批判しているユートピア主義的政治思想に他なりません。力による裏付けのない集団的安全保障によって平和が実現されないことは、一次大戦後の国際政治史が証明しています。国家はふつう国益のために集団的自衛権を行使するのであって、単に道義的理由で日本を守ってくれるはずだと考えるのは、根拠のない理想主義です。日本の安全保障をめぐる議論は、賛成派反対派を問わず、ユートピア主義者によって支配されています。

 

リアリティを学ぶために

 筆者も認めるように、政治の目標を考えること、正しい世界のありかたを考えることは極めて重要です。しかし、正しく理想について考えるためには、現実への正しい認識が必要です。私たち素人にとって、リアリティを学ぶことは決して簡単なことではありませんが、学者や実務家などの専門家の知見を借りることで、少しでもリアリティに近づいていきたいものです。