こなひき太郎のkindle日記

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検証『検証・安保法案』(1)―木村草太インタビュー「安保法制のどこに問題があるのか」検証

  昨日投稿した本書全体への書評に続いて、個別の記事についてレビューしていきたいと思います。今日は首都大学東京准教授の木村草太先生へのインタビュー記事を取り上げます。

 

 

検証・安保法案:どこが憲法違反か
 

 

konahiki-taro.hatenablog.jp

 

個別的自衛権の根拠は内閣に属する行政権にある

 木村先生によれば、個別的自衛権の行使の合憲性は、憲法65条において内閣に与えられている行政権によって説明できます。内閣は国内において行政権を行使することができるのだから、国内で武力行使があったときに、それに対処する権限があるのは当然です。憲法はこのほかに、73条において内閣に外交権を与えていますが、軍事権は与えていません。だから、他国を防衛するための集団的自衛権は行使できないのです。この説明は、全体として明快でわかりやすいものであると思います。 

 さて、彼の説明によれば、行政権は「国内統治作用の中から『立法権』と『司法権』を除いたもの」と定義されます。このような行政権立法権司法権への否定によって定義する考え方を行政控除説と呼びますが、行政権を「国家作用のうち立法権司法権でないもの」と定義する一般的な説明に比べ、「国内統治作用の中から」と定義している点がやや恣意的であるかもしれません。

 しかし、73条において「外交関係を処理すること」が「一般行政事務」から区別されていること、そもそも、現行憲法は9条において戦力の保持と交戦権を原則否定していること、木村先生も指摘しているように、他国の憲法明治憲法と異なり日本国憲法が軍事権を独立に規定していないことを考えれば、集団的自衛権行政権から説明することができないことは明らかでしょう。

 

あいまいさゆえに違憲

 木村先生は、安保関連法案において使われている「存立危機事態」という用語は、従来の政府解釈では「武力攻撃事態」という改正前の法律で使われている用語と同義で使われてきたことを指摘します。つまり、「存立危機事態」とは、日本に対する攻撃がなされた事態を指す用語だったのです。その解釈に基づけば、外国への攻撃により存立危機事態が生じた際に対応できるとする昨年の閣議決定は、これまで認められていたものを確認したにすぎないものになります。

 しかし、武力攻撃事態と存立危機事態が同義であるとすると、これまで使われていた武力攻撃事態という用語を存立危機事態という用語に置き換える今回の改正は意味不明のものになってしまいます。また、国会において、存立危機事態とは日本に対する直接の攻撃がなされた事態を意味するという答弁は、なされていないようです。明確な解釈がなされていない現状では、安保法案はあいまいさゆえに違憲である、と木村先生は主張します。法律のあいまいさは、法の支配という原則を揺るがすものだからです。

 

これは民主主義なのか?

 木村先生は、今回の法案について「議論は出尽くした」と主張します。今回の法案が違憲であることには、憲法学者にも国民にも広範な合意があり、改憲が必要であることは明白だというのです。

 「民主主義って何だ」というシュプレヒコールは、SEALDsの得意技です。しかし、国会において法律案の採決を行うことは、果たして民主主義の否定なのでしょうか。そもそも、現在の国会議員を選んだのは日本国民に他なりません。そして、政治家には世論の反対を受けてでも立法や行政決定を行わなくてはいけないことも当然あるでしょう。

 木村先生はこの点に言及しませんが、立憲主義という原理は、時には民主主義とも対立しうるものです。仮にどれほど世論の後押しがあっても、違憲立法はしてはいけないし、両院議員の3/2以上の賛成がなければ改憲はできないのです。これは、必ずしも耳障りのよい考え方ではありません。今回の法案に対する反対派の少なからぬ人は、この難しい対立関係に気づかないふりをして、民主主義と立憲主義とが矛盾しないものだいう簡単な図式を信じたがっているように思います。これは欺瞞だと私は思います。

 採決自体が非民主主義的であるという現実逃避的な主張をするのではなく、立憲主義という考え方の重要性を確認し、次の選挙で民意を示すことが、真の民主主義者の態度でしょう。その点で、「大事なのは次の選挙まで今回の出来事をきちんと記憶し、それへの制裁を国民が選挙で示すこと」だとする木村先生に私は同意します。

 

 長谷部恭男・大森政輔対談「安保法案が含む憲法の緒論点」検証に続きます。

 

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